6/12、県民防災の日。

初めに未公開だった花壇の写真から。
K4020747.JPG
30日の三島学園花壇です。道の両側にお花が咲いています。

さて、早速本題へ。
今日は6月12日。何の日かと宮城県民に問えば、皆同じ答えを出すと思います。
そう。今日は県民防災の日です。
防災の日というと、9月1日じゃないのか?と思われる方も多いと思いますが、宮城県では6月12日なんですよ。
そのため、今日は訓練が行われた地域も多くありました。

さて、なんで宮城県の県民防災の日は6月12日なんでしょうか。
それはちょうど今日から40年前…1978年の6月12日にさかのぼります。
宮城県は平均で約37年に一度、宮城県沖を震源とする強い地震に見舞われていました。
そしてこの時も前の宮城県沖地震から30年余りが経っていました。その日の夕方、夕飯時。
宮城県沖でM7.4の地震が発生。仙台市などで震度5を観測しました。
初めての都市型地震災害だったといいます。

宮城県沖というと、遠方の方は津波を想像するかもしれません。実際、宮城県をはじめとする太平洋沿岸は津波の多い場所ですし、宮城県沖地震でも若干の津波が発生しましたから。
しかしこのとき、被害を大きくしたのは津波ではありませんでした。それは、建物の構造とブロック塀だったのです。
東京周辺でも揺れを観測するほどで、沢山の家が崩れたといいます。当時は今より耐震の基準が緩かったのです。有名な写真では、ビルの一階が完全につぶれていました。
そうしたこともあり、数年後に建築基準法が改正され、震度7の激震でも倒壊しないような構造にすべきとされました。

また、当時仙台にあったブロック塀は補強がされていなく、揺れで簡単に崩れました。これは避難の障害になるだけでなく、それ自体の崩壊に巻き込まれ、下敷きになってなくなる方が多くいたようです。死者の過半数はブロック塀などの下敷きになったという記録があります。
このあと設置されたブロック塀は、きちんと鉄筋が通り、簡単に崩れないよう後ろから補強してあります。東日本大震災でも、ほとんどのブロック塀は崩れませんでした。

しかし、現在でも危険なブロック塀は数多くあります。地震発生時はブロック塀から離れてください。

このように、宮城県や日本に大きな影響や教訓を残した宮城県沖地震。今もその教訓は残っています。

梅雨入りを迎えた、6月12日の仙台でした。

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